2026/8/26
【木下 浩良|歴史研究者(後篇)】

目次
1.和歌に込められた普遍的な祈り
2.歴史の裏側にある「人間の心」を学ぶ
3.空海の実像と、道長の登山が高野山にもたらしたもの
4.空海の教えが現代社会に問いかけるもの
文化継承や創造に関わる方々をお招きし、お話を伺う特別企画「語らひ人」。
第15回は、前回に引き続き、高野山大学密教文化研究所委託研究員として、各大学・高校で非常勤講師を務められている歴史研究者の木下浩良先生との対談です。前篇では実際に高野山へ赴き、空海が仕掛けた「体験型の教え」を学びました。後篇となる今回は、木下先生とNPO法人七五の理事長である近衞忠大が、和歌の精神性から藤原道長と高野山の関係、そして空海の教えが現代社会に問いかけるものについて、弘法大師空海が草創した、高野山真言宗の別格本山である清浄心院(しょうじょうしんいん)で語り合いました。
和歌に込められた普遍的な祈り
近衞: それでは、清浄心院さんをお借りして後篇の対談をさせて頂きたいたいと思います。宜しくお願いします。
ちなみに、私たちのNPO法人七五は、これまでに「和歌」をテーマにしたイベントも行っているのですが、海外の方はもちろん、日本人の若い世代にも、なかなか親しみを持ってもらえないなと感じます。今日も高野山にはたくさんの外国人旅行者が集っていましたが、海外の方へ「和歌」の魅力を伝えるためのヒントがありそうな気がしております。
木下: 日本の「和歌」というのは、信仰的なものなのでしょうか。
近衞: 単に「昨日こういうことがありました」という個人の表現というよりは、「祈り」に近く、世界観や普遍的なものが詠み込まれているのが本来の和歌なのではないかと伺っております。「宮中歌会始」という形でも行われていますが、皇族方の歌というのは本来であれば国民の安寧を願うものであり、一個人としての表現というよりは、もっと広い意味での表現なのでしょうね。
穏やかな雰囲気で対談する2人 撮影協力:清浄心院
木下: やはり人間性が出るのですね。現代はYouTubeなどを見ていると言葉が氾濫していて何を信じていいかわからなくなってきますが、和歌となると一つの芸術作品であり、言葉に力があると感じます。
近衞: 上皇后美智子さまの歌は、多くの方が異口同音に素晴らしいとおっしゃいますね。本当に本来の和歌の響きに聞こえるような気がします。また、今年初めて歌会始の召人(※その年の文化人代表)に選ばれた、英訳などを手掛けるピーター・マクミランさんは、日本人以上に日本人のような歌を詠まれていました。昔の方々が大事にしてきた深い表現が何千年も前から伝わり、今でも続いているという継続性が、日本の素晴らしいところだと感じます。
近衞忠大(左)/ 木下浩良氏(右)

